こんばんは、お疲れ様です。
本日は「想定内」という言葉について。
数年前、だいぶ前に流行りましたね、この言葉。この当時の自分はまだまだ小さく、「何それ?この人何か悪いことしたの?」くらいでしたが。
今になっても当時のことを調べてみてもよくわかりません。要は、何がよくて何がわからないのか、会社のことについては何も分かっていないのです。
それでも思うことは「急速に目立てば確実に叩かれる要素となる」です。だからといってこそこそとやっていてもどこかしらから叩かれるのでしょうけど。
そんなことは置いておいて。
想定の範囲内、ということについてです。
いわゆる「お勉強」と言われるものについて自分の時間を最も投資したのは高校時代でした。
毎日授業があり、授業についていくために予習をし、学校から帰ったらその日の復習をしていました。
土日ともなれば半日は部活、それ以外の時間は週末の課題、そして日々の授業の準備。
社会人になってからは学ぶことは当たり前で業務時間内は学びになることはあれど、基本的には自分の持っている力を発揮する場所です。
話を高校時代に戻すと、「今日はこれだけできた!」と思って週明けに友達とどんな勉強をしたか、どれくらい理解したか、小テストはどれくらいできたか、等々を話していると一人は自分の想像を軽く超えてくる友達がいたものです。
つまり、自分で「できた」と思っている努力なんてものは所詮頼りないものである、ということです。
「自分ならこれくらいできるだろう」という努力は想像できる範囲のものである。価値がないとは言わないし、確実に自分自身の力になって成長につながっているとは思うのですが、それよりも成果を出している人間がいるからには自分はもっとできるはずだ、と思うのです。
当時の自分はそんなことを考えもせずに「前に比べてこれくらいできたからOK」という程度にしか考えていませんでした。
それでも、そういうふうに考えて他人と比べすぎることがなかったから精神的にも安定していられたのかもしれませんが。
とはいえ、今の自分もそうですが人と比べるとか競争するとかそういう心情になることが少なく「このままで大丈夫か?」と思うことも多々あります。
自分よりも成績が劣っていた友達、自分よりも仕事が進んでいないと思っていた同僚、自分から後に入ってきた後輩、こうした人たちがどんどん進歩していくにもかかわらず「自分はこれで大丈夫」と思いすぎる節が自分にはあります。
「皆一緒」、「競争に勝つことよりも自分が満足できるかどうかが大事」という風潮が強い今ではそこまで強く主張するつもりはありません。
だけど、よりよい案件に就くとか、よりよい成績、より良い学校に行くには(良い、というものはそれぞれの判断によるので一概にはいえません)人よりも努力して結果を出している人にしかチャンスは回ってこないのではないでしょうか。
たまにはチャンスが回ってくるかもしれませんが、それは単なる偶然で再現性のないものなはず。
自分にはそうした傾向が強いからこそ自分に満足しそうになった時に「想定できる努力をしているようではまだまだ」ということを思い出しながら日々成長したいと思います。
コロナウイルスの影響で何かと行動が制限されることもありますが、自分にできるベストを常に尽くし続けるしかないなと思います。
それでは。