異業種からITに飛び込んでみました。

自分の生活の変化、関心のあることについて書いていきます。スポーツ観戦(特に野球・バスケット)が好きです。よろしくお願いします。

新しい刺激をもたらさない人との飲み会は害悪である

おはようございます、Xiupingです。昨日は久しぶりにお休みだったので、夜勤明けに久しぶりに大阪まで繰り出し、大学時代の先輩と会ってきました。

この先輩、学生時代からきちんと計画的にキャリアを考えながら行動し、就活も計画的に終わらせ、希望の会社にすんなりと入った僕の中で今でも付き合いのある人物の一人です。

 

今の自分の状況が状況なだけに会いたい気持ち半分、会いたくない気持ち半分でした。

「オマエはこれだからダメなんだ!」とか言われそうじゃないですか。

 

と思ってたら案外そうでもなく、僕の現在の状況を聞き出し、どういう方向に進もうとしているのかをそれとな〜く聞いてなんだか僕がうまいこと考えられるように持っていってくれてました、今思うと。

 

それに、先輩自身の近況や思っていることを話されて学生時代よりはるかに頼りになる感じになっていました。

学生時代の先輩といえば、1コ年齢が違うだけなのに、人を寄せ付けない感じがするのと、全くと言っていいほど生活感がなかったのです。その当時から頼りになる存在では会ったのですが、自分の近況を話すほどの隙というか余裕はなかったです。

 

で、わざわざ大阪まで会いに行って、説教でもされようものなら相手に対してがっかりするだろうし、時間の無駄に思うだろうな〜と思っていたのですが、そうでもありませんでした。

 

以前までは思考的にマッチョな考えでそれをこちらに対して「なんで俺の考え方を実践しないの?」というような考え方を割と推して来る方でした。自分自身は恐らくそれをやれば最短ルートで目標を達成できる、というような考えをバッチリと決めている人でそこはすごいな〜と思っていたのですが。

 

今回会ってみるとそのような思考をベースに持ちつつもこちらの考えていることと何が違うのかを明らかにし、その上でどうするのが良いか、ということを考えるかなり柔軟な考えになっているように感じました。

 

 

 

 

 

 

というように、飲み会自体がお互いにとって前進できるような内容であればいいのですが、年齢を重ねるにつれて昔話をしがちです。若い頃は〜なんて言っちゃう人は最悪だと思っています。それで若い人に説教をしてしまう人の寒さと言ったら残念すぎると思っています。

 

そういう人たちとは意識的に相手にしないようにしていますし、そういう話を自分がし始めたら人として腐り始めているな、と思うようにしています。

 

幸いなことに自分の周りにはそういう人はいませんし、自分にそういう考えがないということにも感謝しています。

 

 

楽しい飲み会の定義は人それぞれでありますが、お互いが進歩していないことを確認して安心するようなぬるま湯のような人間関係の中には生きたくないと思っています。